2015年04月17日
Uさん&びわこシニアネット交流会
4月14日 びわこシニアネットの交流会です。
2つの用事を済ませてから行こうと思ったので、車で行くというと、八幡祭りで日牟禮八幡には駐車出来ないとの事で、滋賀銀の隣に言われ、ラッキー・・・2つ目の用事の場所が近くなったからだ。
Uさんに会いに行くと、10年前に亡くなったと・・・
Uさんとの出会いは私が40代の頃かなあ・・・母が来たので近江八幡に連れていき、資料館を、出て曲がると左の写真の所へ。
すぐ近くに玄関に扇が沢山並べてあったので、「ごめん下さい」誰も出て来なかったので、中を覗くと大きな立派な柱が上に・・・すごいねと感覚は資料館の続きのような気持ちでした。
大きな井戸、かまど、大きなタンスなどがあり、昔の裕福さがしのばれた。突然「どちらさまで」大きな1メートル80ぐらいのおじいちゃんが・・・
訳を話し謝ると、家の中を案内してくれ、大きな土蔵、中庭、いろいろ説明をしてくれ、向かい側の、旧西川邸の管理をしていると見せてくれ、ビックリ。
庭には枯山水や大きな樽、下はコンクリートかな・・・月、星、鳥などが彫られたのが敷き詰められていた。
2回目は当時油絵をやっており、八幡掘りへ写生に行った時、皆に見せたくてUさんの所へ。
3回目に行った時は旧西川邸は市が管理をすると。
4回目に行った時、おばあさんが出てきて、老人ホームへ入ったと・・・
そして今回久しぶりに会いに行ったら、10年前に亡くなり、その後引き継いだおばあさんが亡くなり、今は私が引き継いでいますと。
話を聞きくとUさんを知らないが、扇の職人さんで京都から舞妓さん、芸妓さんが買いに来るとか。今もそのまま扇を飾っており、ついこの間のように思ったが、10年も来てなかったのかと、改めてビックリ。
そしてUさんと同じように家の中を見せてくれ、改めて懐かしさを覚えました。
写真を持ってきて、中庭のモミジが真っ赤なのを見せてくれ、秋には是非見に来て下さいと・・・
不思議なご縁が出来ました。
びわこシニアネットの方たちが駅から、ゆっくり街を見ながらくるので、おいとましようと玄関を出たら、皆とバッタリ・・・これまたビックリ。
日牟禮八幡ではたいまつ用の大きなものがドドーン・・・8時になると火をつけ夜空を焦がすとか・・・
たねやでゆっくり食事をし、和気あいあいと・・・


HPの分からない所も教えて頂きました。
レイ大を卒業してから、1番若い私が11年立っているのに、皆は私の先輩なのに、ちっとも変わらず若々しい。
私だけがおばあさんの身体になりつつあるのに・・・
13年前に、ホームページ10名募集で、パソコンを教えてくれると勘違いで入り、今があるのは先輩たちのお陰です。
出来の悪い私を引っ張ってくれ、毎月びわこシニアネットの更新当番で、卒業後もレイ大へ行け、チョットの学生気分を味わえるのに、感謝です。
先輩達、重い私を引き上げてくれ有難うございます。
これからもよろしくお願いします。<(_ _)>
帰りにクラブハリエでお茶をして帰りました。
2つの用事を済ませてから行こうと思ったので、車で行くというと、八幡祭りで日牟禮八幡には駐車出来ないとの事で、滋賀銀の隣に言われ、ラッキー・・・2つ目の用事の場所が近くなったからだ。


Uさんとの出会いは私が40代の頃かなあ・・・母が来たので近江八幡に連れていき、資料館を、出て曲がると左の写真の所へ。
すぐ近くに玄関に扇が沢山並べてあったので、「ごめん下さい」誰も出て来なかったので、中を覗くと大きな立派な柱が上に・・・すごいねと感覚は資料館の続きのような気持ちでした。
大きな井戸、かまど、大きなタンスなどがあり、昔の裕福さがしのばれた。突然「どちらさまで」大きな1メートル80ぐらいのおじいちゃんが・・・
訳を話し謝ると、家の中を案内してくれ、大きな土蔵、中庭、いろいろ説明をしてくれ、向かい側の、旧西川邸の管理をしていると見せてくれ、ビックリ。
庭には枯山水や大きな樽、下はコンクリートかな・・・月、星、鳥などが彫られたのが敷き詰められていた。
2回目は当時油絵をやっており、八幡掘りへ写生に行った時、皆に見せたくてUさんの所へ。
3回目に行った時は旧西川邸は市が管理をすると。
4回目に行った時、おばあさんが出てきて、老人ホームへ入ったと・・・
そして今回久しぶりに会いに行ったら、10年前に亡くなり、その後引き継いだおばあさんが亡くなり、今は私が引き継いでいますと。
話を聞きくとUさんを知らないが、扇の職人さんで京都から舞妓さん、芸妓さんが買いに来るとか。今もそのまま扇を飾っており、ついこの間のように思ったが、10年も来てなかったのかと、改めてビックリ。
そしてUさんと同じように家の中を見せてくれ、改めて懐かしさを覚えました。
写真を持ってきて、中庭のモミジが真っ赤なのを見せてくれ、秋には是非見に来て下さいと・・・
不思議なご縁が出来ました。
びわこシニアネットの方たちが駅から、ゆっくり街を見ながらくるので、おいとましようと玄関を出たら、皆とバッタリ・・・これまたビックリ。
日牟禮八幡ではたいまつ用の大きなものがドドーン・・・8時になると火をつけ夜空を焦がすとか・・・
たねやでゆっくり食事をし、和気あいあいと・・・



レイ大を卒業してから、1番若い私が11年立っているのに、皆は私の先輩なのに、ちっとも変わらず若々しい。
私だけがおばあさんの身体になりつつあるのに・・・
13年前に、ホームページ10名募集で、パソコンを教えてくれると勘違いで入り、今があるのは先輩たちのお陰です。
出来の悪い私を引っ張ってくれ、毎月びわこシニアネットの更新当番で、卒業後もレイ大へ行け、チョットの学生気分を味わえるのに、感謝です。
先輩達、重い私を引き上げてくれ有難うございます。
これからもよろしくお願いします。<(_ _)>
帰りにクラブハリエでお茶をして帰りました。
2015年04月12日
スポレク25期生のクラス会
4月10日は25期生スポレク学科のクラス会。
早いもので、レイ大へ入学してからあっという間に12年。
60歳で入学した私は、70代って先のもっと先だと思っていたのに、この調子で・・・
老婆への道を一生懸命走っている感じで、80代もアッというまにくるだろう。
私達、元文化委員は毎年新聞を作ってきたが、今年の新聞にも悲しい知らせがありました。
奥様や、娘さんを亡くされた方の辛い心情と、前に進む心の葛藤が寄せられました。
また、明るいニュースも・・・レイ大へ入った頃から、地域で男の料理に参加していた方が、立派な本を出しました。
出来た新聞を持って行ってクラス会に出席。
ホテル琵琶湖プラザに集まったのは、8名。
皆いろんな活動をしており、元気で飛び回ってる方も、今度は会えるかな。


食べきれないほど沢山のお料理が出て、ビックリ。
びわ湖大橋を下に眺めて、ゆっくり食事の後は佐川美術館へ。

初めに平山郁夫のシルクロードを堪能して、山下清展へ。
これまたビックリ・・・今迄こんなに沢山の山下清の作品に出合った事がなかった。
きめ細かい張り絵に気が遠くなりそう。
守山まで送ってもらい、クラス会は終わりました。
幹事さん、いろいろお世話になりました。
早いもので、レイ大へ入学してからあっという間に12年。
60歳で入学した私は、70代って先のもっと先だと思っていたのに、この調子で・・・
老婆への道を一生懸命走っている感じで、80代もアッというまにくるだろう。
私達、元文化委員は毎年新聞を作ってきたが、今年の新聞にも悲しい知らせがありました。
奥様や、娘さんを亡くされた方の辛い心情と、前に進む心の葛藤が寄せられました。
また、明るいニュースも・・・レイ大へ入った頃から、地域で男の料理に参加していた方が、立派な本を出しました。
出来た新聞を持って行ってクラス会に出席。
ホテル琵琶湖プラザに集まったのは、8名。
皆いろんな活動をしており、元気で飛び回ってる方も、今度は会えるかな。


食べきれないほど沢山のお料理が出て、ビックリ。
びわ湖大橋を下に眺めて、ゆっくり食事の後は佐川美術館へ。

初めに平山郁夫のシルクロードを堪能して、山下清展へ。
これまたビックリ・・・今迄こんなに沢山の山下清の作品に出合った事がなかった。
きめ細かい張り絵に気が遠くなりそう。
守山まで送ってもらい、クラス会は終わりました。
幹事さん、いろいろお世話になりました。
2015年04月01日
母に会いに
早すぎる~・・・もう、4月だ~・・・
3月25日の夜行電車の、ムーンライトながらで、大垣22:49発、東京着5:05、上野発6:04に乗り、いわきに9:52着。


青春切符の旅で、上野駅ではパンダが出迎えてくれてホッ。
弟が迎えに来てくれ、母がいる介護施設へ・・・
ギャ~ッ・・・広間で母は椅子に座りウツラウツラ・・・
あまりにも小さくなった母を見て、胸が締め付けられた。
入居して1年で、こんなにも変わるとは・・・


我が家で1番早くパソコンにトライした母で、まだ、IT講習もない時、独学でマスターしたり、キーボードにもトライ。
常に世の中の動きをキャッチし、先端の道を切り開き、尊敬できる母親の変わった姿に、人は目標が無くなるとこんなにももろくなるのか・・・
一人で93歳まで生活をしていた母とは程遠かった。
去年行った時、母の誕生日祝いを、母の大好きなメヒコで出来たが、今年の誕生日会は外へ連れ出すのが無理だった。
おしゃれな母にストールと洋服を持って行ったが、弟が「前開きのパジャマは良いが、持って帰ってくれないかと・・・」
そういえば母は、夏に行った時、「私のすることが何もない、私は頭が狂いそうだ・・・」と、ポツンと言った言葉が何度も頭の中をよぎった。
弟が「この人は誰」と指を私に向けると、母は喜んで「ノンノン」、「では私は誰」と自分を指すと母は首をかしげている。
駅まで送ってもらい夜行電車に乗ったが、老いるという事はこういう事なのかと、ショックが大きかった。
それからが大変、私の体調がすぐれなくて、寝たり起きたりの生活だったが、4月に入りグズグズしていられないと、日常に戻さなければと。
3月25日の夜行電車の、ムーンライトながらで、大垣22:49発、東京着5:05、上野発6:04に乗り、いわきに9:52着。


青春切符の旅で、上野駅ではパンダが出迎えてくれてホッ。
弟が迎えに来てくれ、母がいる介護施設へ・・・
ギャ~ッ・・・広間で母は椅子に座りウツラウツラ・・・
あまりにも小さくなった母を見て、胸が締め付けられた。
入居して1年で、こんなにも変わるとは・・・


我が家で1番早くパソコンにトライした母で、まだ、IT講習もない時、独学でマスターしたり、キーボードにもトライ。
常に世の中の動きをキャッチし、先端の道を切り開き、尊敬できる母親の変わった姿に、人は目標が無くなるとこんなにももろくなるのか・・・
一人で93歳まで生活をしていた母とは程遠かった。
去年行った時、母の誕生日祝いを、母の大好きなメヒコで出来たが、今年の誕生日会は外へ連れ出すのが無理だった。
おしゃれな母にストールと洋服を持って行ったが、弟が「前開きのパジャマは良いが、持って帰ってくれないかと・・・」
そういえば母は、夏に行った時、「私のすることが何もない、私は頭が狂いそうだ・・・」と、ポツンと言った言葉が何度も頭の中をよぎった。
弟が「この人は誰」と指を私に向けると、母は喜んで「ノンノン」、「では私は誰」と自分を指すと母は首をかしげている。
駅まで送ってもらい夜行電車に乗ったが、老いるという事はこういう事なのかと、ショックが大きかった。
それからが大変、私の体調がすぐれなくて、寝たり起きたりの生活だったが、4月に入りグズグズしていられないと、日常に戻さなければと。