いわきNO4、実家編

ノンノン

2011年05月13日 09:47

5月5日 午後から母が植えたいと言っていたキュウリ、ナス、トマト、ネギ、枝豆、花類を買って・・・

アリオスが5月5日で被災者の退去をするので、皆が書いたメッセージを頂きに行くと、「有難うございました、平体育館は沢山の方がいるので励みになります」

平体育館は1回目洋服を頂いて貰った時、2,3回目お話ボランティアで行き、4度目は皆のメッセージを張っていただくため訪問したら、顔なじみになった市の職員がとても喜んでくれ「張らしていただきます」嬉しかったなあ・・・

さあ、これから母に付き合えるぞ~

ここには映ってないが、プランターでアスパラガスが毎日2,3本芽を出し、美味しく頂いていたが・・・

アスパラが枯れ木になってきているのが沢山あり、先ず掃除から・・・

植木は雑草だらけ・・・全部取り除きプランターの中を良くかき混ぜ肥料をたっぷりとあげ植えると母の喜ぶ事・・・うれしいなあ・・・8つのプランターを1列に並べ、これから楽しんでね~・・・

だが、内心は放射能は大丈夫だろうか・・・

放射能に色が付いていたらこれは危ないと分かるのに・・・目に見えないだけ怖い・・・


母が赤い皮のピーナッツを買い、皮をむいて鍋で飴を作り酢を少し入れてピーナツをザー・・・


固まったらこれ、この通り・・・

とってもなつかしい味になりました。

夜は2人でぺチャぺチャと話をしながら洋裁を・・・

私は?・・・何を・・・そうだ、昔、ゼッケンを作る時沢山いただいた生地があるので・・・ニヤ~ッ・・・やるかどうかわからないのに、魔女の服を・・・いきなり生地を切り、ミシンでジャ~・・・

母が「愉しいねえ、まさか2回も続けて来てくれるとは・・・」一寸は親孝行が出来たのかな。

7日の1時半に高速道路へ乗り・・・割と空いてる~

浜名湖で食事の前にいた方が、格好良いスタイ軍団・・・後ろ姿を写させてと言ったら快くOK、「清水のサッカークラブでユニホームの売上金を義捐金にしたり、津波で流された友達に送ったりしてると」嬉しいですね~・・・どこでも何か出来る事を被災者へ届けるって・・・改めて素晴らしい日本の心を見たようで、身体が軽くなりがフワフワ駐車場へ・・・

???車がナ~イ・・・前の方に止めたのに・・・あっち・・・こっち・・・何度見てもな~い・・・??

コーヒーを飲んでいた殿方に「すみません、車がないのですが・・・どこへ行ったのでしょう・・・」

「どちら方面から・・・」「東京方面・・・」 「ここは東京行きです」「ナニーッ・・・?」まるで狐につままれたみたい、言われた通り行ったらあった~・・・

私の愛車おたべちゃんが、また、へまをしたネ~というような顔で待っててくれました。お礼をしにいったら「良かったですね、お気をつけて・・・」またまた嬉しい言葉・・・無事、11時に着きました~。


避難してる方の声

コインランドリーが遠いので、中古の洗濯機が被災場所に何台かあったらうれしい・・・

下着が替えられないのが辛い

お風呂が順番で仕事がある時は、何日も入れないのが辛い

電話を無料にしてもらえると助かるが・・・

肩がこるのでマッサージをしていただければ

頭をサッパリしたい

マッサージと散髪の要請があった日に、午後から両方のボランティアさんが来て、皆さん喜んでいました。


行政への要望は

「り災証明書」や「り災届出証明書」を出したが、動きがないので早くしてほしいという方が多かったです。

弟が、町内の空き家が何軒かあり、子供たちは家があるので、空いている所を市が入り条件が合えば、家が喜ぶし、被災者も全てそろっている所で暮らせるがと、提案をしたがその後発展無し・・・

家がいわきという事で、今回も参加して感じた事だが、食事、服など温度差があるなあ・・・

炊き出しを毎日していただいている所、コンロが使え大きな鍋で料理が出来る所、やっとポットが使えインスタントみそ汁に缶詰とか冷たい食事・・・

外国の方、東京、大阪と遠いところから炊き出しがあるって素晴らしい。

中国地方、長崎、大阪等々沢山のボランティアさんの応援、自衛隊、警察、消防署等の御活躍。

沢山の、本当に沢山の方々が応援をしている事を、肌で感じてきました。

早く皆様が普通の生活に戻れる事を祈ります。


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