東日本大震災・・・NO3 被災者の声

ノンノン

2011年04月15日 09:17

私がボランティアの受付をした時、「皆、心が痛んでいるのでお話ボランティアをお願い・・・」

朝、行くと中を案内してくれ、70人の方が避難していると。



次から次と避難者が訪れてるようです。

広い階段の上に寝てる形跡が、下からと上から風が吹くだろうに・・・

被災者との話

灯台の近くの親子・・・「アッというまに堤防を越えて家が流され、命からがら逃げてきたのに、皆に衣類などを頂きとっても有り難い」
娘さんが靴下をはいてないので聞くと、「これからお風呂に行くので脱いでます」しかし足を見るとポンポンに腫れているので、足をマッサージし、自分で足の裏を押す事を教える。
娘さん、お母さん、私が1列になって肩たたきを歌いながらトントンとすると、お母さんが「ワー気持が良い、これから2人でやります」

男性・・・「屋根でアンテナを取り付けてる時、地震がきたので屋根にしがみついて下を見ると、軽自動車がひっくり返りビックリ、家へ帰ると中がメチャメチャ、早く立て直しをしなくては、昔は仕事をよう頑張ったがこれからも働かなくてはね」と、ガッツを見せてくれました。

男性・・・「滋賀県へ行くのなら途中まで乗せては貰えないか、奈良の先輩が呼んでくれてるので・・・いや、ダメだ別れた女房の事が心配だ、俺だけ逃げるわけにはいかない、ここで頑張る」と力強い言葉。

80代女性・・・「ここでお世話になり幸せだ、辛い事を早く忘れて笑って乗り切らねば明日は来ない、ワッハッハハハ」

男性・・・「自衛隊で訓練を受けた事がある、今は恵まれすぎ、食事が冷たいと言う人に食べられるだけでも有り難いよというと、納得してくれた」と、嬉しそうに話してくれました。

男性・・・「原子力発電所に長く勤めていたが、俺はこんな年になっても元気だ、怖がる事はないと漬け物を作って皆に食べさせたら、美味しいと言って食べてくれた」と、ニコニコ。

80代女性・・・「オシャレですね」というと「もう、年だから心を楽しく毎日を明るい気持ちで暮らしたい、平市内だが、家の中が崩れてきたので、ここに避難したが、家があるだけでも幸せ」

皆、現実をしっかり受け止め、悲しみをこらえ、前向きな姿勢に私が元気を頂いたようでした。




1日2食の朝食兼昼食の時間になると1列に並んで浅い箱を取り、ご飯、インスタントみそ汁、牛乳、ヨーグルト、缶詰で、私にもと言ってくれたので断ったら「被災者と同じものを食べてみてください」

被災者の方と一緒に頂きながら話を聞くと、「3日前まではオムスビ1個と水だけで、たまにパン1個がつく事があったが、今は豪華な食事で嬉しい」

約1カ月になろうとしているのに、まだ断水で煮たきが出来ないのが現状。

要望

・・・「早く仮設住宅が当って欲しい」

・・・「原発の事をテレビでは大丈夫と言っているが、重大な事を隠している、私たちは帰れないし心の整理がつかず生殺しだ」

・・・「ここから近い競輪場へ品物が一杯届いているが、被災者の所へは廻ってこないので、皆の分を貰いに行ったら断られ悔しい」男泣きをしました。

帰ってからネットで調べると、ビックリ・・・

http://www.youtube.com/watch?v=ntXtBzWWzpUを見つけたのでのせました。




ユーチューブが消えるかもしれないので、カメラでパシャ。お見苦しいがあしからず。

これは原発の発表の前に届いたものかしら?

風評被害で、トラックがいわきに入ってこないで水戸止まりと聞いていたが、こんなにあるのに被災者へ届かないとは・・・

これを見て考えさせられました。

人の善意を何と思っているのか・・・

送っている方たちはテレビを見て、早く皆に届くようにと心を込めて送っているのに・・・

指示がないからダメ?行政の支持が行き届いてないのか?

TPOで一刻も早く届くようにしたら、沢山の方が救われるだろうに・・・

全員に届かないと不公平だから・・・皆寒くても我慢しろっておかしい。

ボランティアから帰って来たら、次の日私が帰るので弟が来てくれ「姉き、避難所は畳をひいているのか」と、聞くのでカメラで確認してひいてない事を告げると、すぐ、アリオスに電話で、畳があるので10数枚使ってください・・・」

次の日は雨という事で、帰ってから持って行ったとの事。

70人に対して10数枚は絶対的に数は少ないが、絨毯の上で寝ている人と、通路や階段の上で寝てる人と、条件が違うので、生かしてくれたら嬉しい。積み上げて目の届かない所へ置かないでくださいね。

今回は計り知れないほどの大パニックになっているのは、良くわかります。

現場の方が一生賢命動いているのも見えました。

家族を失いながら皆のために、悲しむ間もなく動いている方もテレビで見ました。

被災者のために宿を提供したが、途中でストップして、0の状態でおかみさんは胸を痛めてるのも知りました。

沢山の善意が届いていても、生かされず、やりきれない気持で一杯です。

だが、今回お手伝いをして感じたのは、災害から1カ月後にまだ同じような状態でも、感謝の言葉が沢山あり胸が熱くなりました。

お手伝いに行ってなかったら、おそらく怖くて災害の現場も見なかったし、物流が沢山あるのに被災者へ届いてない事も知らなかったと思います。

がれきの山を見て、これを取り除くには沢山の人の力が必要なのではと思いました

メディアが発達しているのに、見えてこない事が沢山ありました。

いわきは4重苦で地震、津波、原発、風評被害で苦しみ、青森、石巻などは雪と、苦しみと闘っている方が多いので、一刻も早く皆の元へ品物が届く事を祈ります。

被災者の方に早く平和が訪れる事を祈りつつこれで、「東日本大震災」の事は終わります。

ホームページに「東日本大震災」をまとめてみました。

とても複雑な気持なので、まだ、皆さんのブログの所へは廻れませんが、やっと私自身が1歩前へ進む事が出来ました。

気持が落ち着いたら廻らせていただきます。それまで待ってね~・・・(^_-)-☆


関連記事