東日本大震災・・・NO2

ノンノン

2011年04月14日 01:38

朝6時に家に着いたが、いわきに近づくにつれ高速道路はあちこちデコボコや、サービスエリアの閉鎖、いわき中央からの先は通行止め。

家に着くと本棚が倒れ、本がバラバラ状態。

25日間、この中で過ごしていたのかと思うと心が痛い。

90歳になった母は心が疲れ、力も出なかったのだろう。

ブログ仲間のロッタとパーシーのおかあさんが、母へと大きな箱に水、カップラーメン、春雨スープなどドドーンと送ってくれたのが前日に届き、母へあげたらビックリしていました。

ロッタとパーシーのおかあさん、心からお礼を申しあげます。有難うございました。

野菜を御近所へ配ったが、ほとんどの方が東京、つくば、九州へと避難し2~3週間で戻ってきたと。。。

家が片付き、帰る前にボランティアに行きたいと言うと、母は止めたので一緒に居たかったが、私の心はお手伝いをしたい気持で一杯でした。

母の言葉に負けてボランティアに行かなかったら、私は一生後悔をすると思い、胸の内を話すと分かってくれたので、市役所に行くと5階の窓が3枚割れ落ち、階段が沈下し、歩くところがボコボコに。




近くのアリオスでボランティアの受付をしてると言うので、申し込みをしたら、ボタンティアさんが「豊間灯台や小名浜を見られましたか」と聞かれ、帰りに寄ってみると、テレビで見た風景が・・・絶句

母と前に海を見ながらお寿司を食べたり、娘と遊んだあたりが見る影もない。

車が通れるだけの道を、ゆっくりと泣きたくなりながら車を進めました。

この時はカメラを向ける気持にはなれませんでした。

次の日、もう1度訪れ、記録として残そうと思ってボランティアの帰りに思い切ってシャッターを押しました。1本前から入って見たら道路が・・・Uターンして昨日通った道へ・・・













ここは美空ひばりの「みだれ髪」の塩や崎灯台から左の方がすごい状態。

テレビで災害の事しか知らなかったが、現実を見ると怖さが・・・悪夢だと良いが・・・

現実なのだ・・・町が一瞬にしてズタズタになった町に手を合わせ、生き残った方たちに早く平和が来るように・・・


小名浜に入ると建物の後ろで駐車場のところへ大きな船や、ここまで来たのという位離れている所も被害で、信号も切れている。



廻って来て感じた事は、車が通れるようにしているが、圧倒的に人が少ない。

どこを見てもがれきの山・山・山

フー・・・辛いが現実に起きた事を伝えたいのと、私も前向きに生きて行かなくては・・・

テレビを見た人たちは、自分と全然関係ない方も皆が胸を痛めてる。

早く平和な生活が送れる事を祈るばかりです。


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