2011年3月11日 東日本大震災で、災害に遭われた方々のご冥福とお見舞いを申し上げます。
テレビからショッキングな映像が流れ、正直言って心が凍ったようでした。
とてもひどい東北地方太平洋沖地震の名を改め、東日本大震災の様子が青森、岩手、気仙沼、石巻、浪江、いわき、水戸、千葉と幅広く地震と津波の脅威が町をメチャメチャ。
安心だと言われてた原子力発電所が被害を受け、目に見えない脅威が襲い始めました。
原発が1番心配だが、テレビからいわきのその後の様子がほとんど見えてこなくて、不安が一杯でした。
このような甚大な被害状況を目の当たりにして心が痛むばかりでした。
テレビはマグニチュード8・8から、世界最大級の9・0に切り替えられたのを放映していました。
北海道、岩手、青森、宮城、福島、水戸、千葉~鹿児島までの太平洋側に津波警報で、真っ赤な線が引かれ、日本海の山形~佐賀まで津波注意報で、赤と青で日本がグルット囲まれていた。
大津波が寄せ、家、車、船などを町中にすごい勢いで飲み込んでいました。
波が引いた後は、家がバラバラに崩壊し、町がなくなり、車や船が打ち上げられ線路がたれたりと、悲惨な状態でした。
父の転勤で、石巻、郡山、いわきに住み、退職後は気候が良いいわきに落ち着きました。
その、石巻、いわきが・・・絶句・・・青森、岩手・・・ひどすぎる~・・・
すぐ実家へ帰ろうとしたら、弟が「姉き、今は動かないでくれ~」
ただ事でない緊張感を感じました。
何かをしなければ・・・気持は焦るが何をしたら良いか分からない苛立ち。
そうだ、寒いのでコートや冬物を送ろうと箱に詰めたが、新品でないとダメとか、受け付けてないとか・・・
ふれあいの館ではタオルを被災地へ送ると書いてあったので、さっそく新品で頂いた状態の物を袋一杯届けたが、心は重い。
母の所は電気とガスが通っているが断水状態。
さっそく水やカップラーメンなどを送ろうとしたら、水は3本まで、カップラーメンなど数量限定。
いろいろ詰めて宅配に電話をすると、いわきに入れない状態だと。
やっと29日に届けられる事がわかり、持っていったら4,5日かかると言ったがお願いしたら翌日に無事母の元へ届けられホッ・・・
30日は母の誕生日でプレゼントも届き、1番嬉しかったのは断水が解除された事でした。
ガソリンも何箇所か営業が出来た事を知り、4月2日に飛んで行きたかったが、第2次の講習会が2日、3日あり、これを受けないと、静岡、北海道、東京のいずれかで受けなばならないので、心を鬼にして研修を受けました。
最後の講義が終わり、先輩と同期の交流会が6時からあったが、途中で失礼して野菜やマスクを買っていわきに飛びました。
もう、1か月になるのに、隣の地区や、あちこちまだ断水状態で、店もほとんどが開いていない。
地震の事を忘れてはいけないと、思い悩んだが、1か月後のテレビを写し思い切って、事実を見てきた事も乗せようかと思いました。
でも、心が重い・・・
今日はレイカディア大学の「びわこシニアネット」の事務局を担当していた方が、転勤になるのでお別れ会。
近くまで来ていながら心が重く、足が中々向かないので、「遅れると電話」「待っている」と言われ思い切って行く。
皆にいわきの事を聞かれ話し、その後皆に元気づけられ、やっと逃げてはダメだ、辛いのは当事者なのだと気づき記録を書く気になりました。
沢山の方から、電話、メール、ブログへ御心配を頂き有難うございました。