2008年08月10日
戦争体験を語り合う会
10時半に友達と待ち合わせで、大津へ「戦争体験を語り合う会 10周年」に行く事になりました。


アーカスでお食事です。
バイキングなので、しっかり頂いてきました。
ゆったりと、びわこに、ミシガンとビアンカが止まっています。


今日の取材に声をかけてくれた、レイ大の事務局2人と、合流しました。
「ソ連シベリアから収容所から、今を生きる」と、平野 喜三さん88歳の、生と死の体験を話し、300人のうちの1人だけ残り、「この戦争は何だったのだろうか・・・」「誰がしたのか・・・」と熱く語りました。
地図を指差しながら、私が生まれた旧満州国、奉天や、ハルピンなどがあり、私の記憶にうっすらと、「まんじんが殺されてる~」見えなかったが、殺しの言葉が入っていたので、覚えてたようです。
父はいつも「中国人の部下達に助けられた」といっており、日本へ帰るときは、送別会もしていただいたとき、略奪されるのなら、皆に分けようともらっていただいたとか。
人を隔たりなく接し、日本語を教え、中国語を習ったという話も聞いていました。
父と、母は22年前に、皆に助けられたお礼をいいに、会いに行き、とても歓迎され良い思い出を語ってくれました。
私の中は、戦争であってもそんなひどい事になっていたとは・・・
山崎豊子の「大地の子」を何度もよみ、まかり間違えば・・・私も大地の子になっていたかも知れない。
またパネルディスカッションで、司会の永田 夏雄氏、パネラーの花房 亀蔵氏91歳、紅一点の、奥村 モトコ氏、佐藤 保氏84歳、大野 貞夫氏74歳の体験談とパネルディスカッションがあり、戦争の生々しさを感じ取る事が出来ました。
2度と起こしてはならない戦争を、語りつないでいくには、ほとんどがご高齢者になってきているので、若い方たちにも聞かせたい話しでした。
日本は敵国を話してはならないと、英語を禁止したのに対し、アメリカは漢字が書けるといわれ、この差は・・・
1日に50万人が死に、3日もするとうじ虫がたかり人型になって人間を食べ始めその音が耳にも残っているとか・・・
ショッキングな話で、ゾ~でした。
4:30まで、しっかりいろんな質疑があり、時間が足りないほどでした。
考えさせられる話でした。
アーカスでお食事です。
バイキングなので、しっかり頂いてきました。
ゆったりと、びわこに、ミシガンとビアンカが止まっています。
今日の取材に声をかけてくれた、レイ大の事務局2人と、合流しました。
「ソ連シベリアから収容所から、今を生きる」と、平野 喜三さん88歳の、生と死の体験を話し、300人のうちの1人だけ残り、「この戦争は何だったのだろうか・・・」「誰がしたのか・・・」と熱く語りました。
地図を指差しながら、私が生まれた旧満州国、奉天や、ハルピンなどがあり、私の記憶にうっすらと、「まんじんが殺されてる~」見えなかったが、殺しの言葉が入っていたので、覚えてたようです。
父はいつも「中国人の部下達に助けられた」といっており、日本へ帰るときは、送別会もしていただいたとき、略奪されるのなら、皆に分けようともらっていただいたとか。
人を隔たりなく接し、日本語を教え、中国語を習ったという話も聞いていました。
父と、母は22年前に、皆に助けられたお礼をいいに、会いに行き、とても歓迎され良い思い出を語ってくれました。
私の中は、戦争であってもそんなひどい事になっていたとは・・・
山崎豊子の「大地の子」を何度もよみ、まかり間違えば・・・私も大地の子になっていたかも知れない。
またパネルディスカッションで、司会の永田 夏雄氏、パネラーの花房 亀蔵氏91歳、紅一点の、奥村 モトコ氏、佐藤 保氏84歳、大野 貞夫氏74歳の体験談とパネルディスカッションがあり、戦争の生々しさを感じ取る事が出来ました。
2度と起こしてはならない戦争を、語りつないでいくには、ほとんどがご高齢者になってきているので、若い方たちにも聞かせたい話しでした。
日本は敵国を話してはならないと、英語を禁止したのに対し、アメリカは漢字が書けるといわれ、この差は・・・
1日に50万人が死に、3日もするとうじ虫がたかり人型になって人間を食べ始めその音が耳にも残っているとか・・・
ショッキングな話で、ゾ~でした。
4:30まで、しっかりいろんな質疑があり、時間が足りないほどでした。
考えさせられる話でした。


